僕にとって「あいまい」な状態というのはポジティブな状態である。
例えば、白色のモノやコトを想像してみる。
骨、紙、雲、肌の色など、、、
それらは別の「白」であるが、当たり前のように白い絵の具の中に数滴別の色を垂らした色を含めて僕たちは「白」として考えているのだ。
でもどこまでが「白」でどこまでが「白」でないのか?
百合の花の白と便器の白はどう違うのか?
そもそも定義する必要はないのだろうか?
いや少なくとも僕の想像や考えは拡大し深度を深め、僕は「白」という本質に何歩か近づいているではないか。
このことを遂行するために、僕は版画や型取りという技法を多用する。
これらはそもそもが単独であり複数生産可能であるという矛盾を抱えている。
つまり「あいまい」なのだ。
この愛すべき「あいまい」を僕は強化する。
例えば透明樹脂を用いて葉っぱを正確にコピーすることで、同じ形など存在しない唯一の自然物が透明なプラスティックに変わっていく。
または印刷の物質感を過度に強調することで、複製物である写真が砂嵐のように自由に吹き荒れる。
それらはポジティブな「あいまい」を導きだす僕の作法であり、まさしく「受胎告知」と「泉」の出会いなのである。

大西伸明
2013